2009.5.20
ラビンドラナート・タゴール (Sir Rabindranath Tagore রবীন্দ্রনাথ ঠাকুর रवीन्द्रनाथ टगोर(ठाकुर)、1861年5月7日 - 1941年8月7日)
アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖タゴールの生誕120年を記念して建立された。
画像の写真の文章は、
軽井沢は噴火山のないインド亜大陸の詩人に、つきることのない詩の泉となった。
「神は名もない野の草に、何億年もかけて、一つの花を咲かせ給う」
「大地一面の微笑を咲かせるのは、天地の涙あればこそだ」
タゴールはその後二回日本を訪れたが、最後の講演では
「自己中心の文明は隣の国民を焼きつくす武器を発明するようになる。
くれぐれも『人類は戦わず』を守るべきだ」と述べ、原爆を予言するような言葉も残した。
一九四一年(昭和一六年)八月七日、広島・長崎の原爆投下やインドの独立を知ることなく、たくさんの作品を残して、その八〇歳の地上の生涯を閉じた。
と書かれている。
タゴールは大に親日家で、戦前の日本に5度も来日した。
タゴールは、日本人が培ってきた繊細な美意識や伝統、自然と調和する心を深く愛した。麗しい国と呼び、憧れさえ抱いていた日本が、日増しに軍国主義化していく当時の姿を目にして、タゴールは人類への愛の立場から、日本の大陸侵略を厳しく批判したいう。
来日講演で、
「もとより私は、日本が自己防御のための現代的な武器を取得するのを怠ってよいというつもりは毛頭ありません。しかし、このことは日本の自衛本能の必要最小限以上に決して出てはならぬものであります。真(まこと)の力というものは武器の中にあるのではなく、その武器を使用する人々の中にあることを、日本は知るべきであります。もし人々が力を求めるに急なあまり、自分自身の魂を犠牲にしてまで、武器を増強しようとしたならば、危険は敵の側よりも、その人たち自身の側にますます大きくなっていくものであるという事実を日本は知らなければなりません。」(「日本の精神」)
日本は、タゴールがアジアで初めてノーベル賞を受賞した時、喝采を送ったが、その歪んだナショナリズムを批判したタゴールの警告には耳を傾けず、悲劇への道をひたすら突き進んでいった。
それでも、タゴールは人生と世界を肯定し、そしてこの世界の中で、自分の死の最後の瞬間まで、この世界を愛するということが、タゴールの宗教観であったようだ。
タゴールは決して山に閉じ籠もったり、或いはまた僧院に閉じ籠もったりして、悟りを開こうとしたのではなく、彼は現実の一人の人間として、生き、そして自分に与えられた生命を最後の瞬間まで生き切るということによって、「人間の宗教」或いは「詩人の宗教」と彼がいった宗教を生きたと言えるのではないだろうか。
タゴールから学ぶことは、この「生き方」だ。
「現実を肯定し、世界を肯定し、また自分に許された人生をできるだけ一生懸命に生きよう」というところだ。(森本達雄名城大学教授より)
タゴールの詩をもう一つ紹介。
危険から護られるよう祈るのではなく、
恐れる事なく直面しよう。
わたしの苦しみの納まることを願うのではなく、
それを克服する心をこそ願おう。
人生の戦場で同盟軍を求めるのでなく、
われわれ自身の力をこそ求めよう。
救われることを心配しながら求めるのではなく、
わたしの自由を勝ち取る忍耐をば望もう。
わたしが、人生の成功のためのみに
あなたの慈悲を当てにする卑怯者ではなく、
わたしの失敗の中に
あなたの手の握りを発見する勇者でありますよう。
ラビンドラナート・タゴール、「果物採取」より
川口正吉訳
最近のコメント