« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月

『楽園の喪失』(Paradise Lost, 1667年)ジョン・ミルトン著の世界

あえて、『楽園の喪失』と書いた。パラダイスロストといえば、『失楽園』ということばが出てくるだろう。ジョン・ミルトン著でこの『失楽園』と訳している本もあるので。だが、『失楽園』と書くと、渡辺淳一の作品と間違われやすいので、新井明訳の『楽園の喪失』と書いた。

この本はとても不思議な面白さがある。特に夫婦愛と、この世界で生きる男女の旅立ちについて書かれているように思われるからだ。

特に、注目したいところは、最後の楽園を出る所だ。

殆どの歴史著作物には、当時の(今も)キリスト教的観念で描かれている。

アダムとイブは罪のリンゴを食べたから追放されたのだと。そのために、絵画などには悲しみや苦悩などの暗い描写になっていることが非常に多い。

ところが、野呂教授(ジョン・ミルトン研究者)の視点は少々違う。

教授が言うには、主に、最後のアダムとイブの旅立ちのシーンに注目している。それについてはまた後日続きを書く。私にとってはとても興味深く、印象深い見解だなあと思った。

| | コメント (0)

紀元前の小説『恋愛指南』

 オウィディウス(Publius Ovidius Naso, 紀元前43年3月20日 - 紀元17年 古代ローマ、「アウグストゥスの世紀」に生きた詩人)
『変身物語』(Metamorphosen 全2巻、中村善也訳、岩波文庫、1981-84年)を書いたオウィディウスは、他に恋愛に関することを書いた詩人としても有名だ。
 
特に『恋愛指南』沓掛良彦訳(岩波文庫)は、今現在でも通じるユニークなものが多い。彼は男性でこの時代はやはり男性優位なので、主に男性向けに書かれているが、女性向けにもそのユニークな技法が書かれており、この本が更に有名になったようだ。

■作品■
『恋の歌 』Amores
『ローマ恋愛詩人集』 中山恒夫編訳、国文社、1985年所収。
『恋愛術(恋の技法)』Ars amatoria
『恋の手ほどき; ほれた病の治療法』 藤井昇訳、わらび書房、1984年。
『恋の技法』 樋口勝彦訳、平凡社ライブラリー、1995年。
『恋愛指南』 沓掛良彦訳、岩波文庫、2008年。
『恋愛治療』Remedia amoris
『恋の手ほどき; ほれた病の治療法』 藤井昇訳、わらび書房、1984年。
『名婦の書簡 』Heroides
『ローマ文学集』世界文学大系67、筑摩書房、1966年に松本克己の部分訳。
『祭暦』Fasti 『祭暦』 高橋宏幸訳、国文社、1994年。
『哀歌(悲しみの歌)』Tristia
『悲しみの歌; 黒海からの手紙』 木村健治訳、京都大学学術出版会、1998年。
『黒海からの手紙』Epistulae ex ponto
『イービス』Ibis  

オウィディウスの恋愛の本は、 

「真面目な人には非常に不真面目な本で、不真面目な人にとっては非常に真面目な本」と言われた。 
紀元前の大昔から、男も女も現在も、なおも変わらない実に愉快な本能だ。

沓掛良彦訳
第一巻「男はいかにしてこれという女を見つけ、ものにするか」
第二巻「ものにした女をいかにして保持するか」
第三巻「女はいかにして男を籠絡するか」    

● [愛の戦場へ船出する者へ・三カ条]   
   ①愛する対象となる相手を探すべく務めることだ。   
   ②これぞと思う女性を口説き落とすことである。   
   ③その愛が長くつづくよう務めること。 

| | コメント (0)

ギリシャ・ローマ神話「変身物語」の、「ピレモンとバウキス」

変身物語(オウィディウス 「変身物語」〈上〉巻八 )では、不思議なかたちに変身するファンタジーストーリーが沢山あるが、現在の私にとって、「ピレモンとバウキス」は、なぜかしら心に深く残って、忘れられないメッセージを感じるストーリーである。

「お礼に、何でも望みを叶えてあげよう。遠慮はいらない!何なりと申してみよ」
と、偉大なる神様に言われたら、貴方は一体、何を望むだろうか?
 
ドラえもんのポケットみたいに何でも叶うのだ。若さも金銀財宝も地位も名誉も何でもあげればきりが無いのに。

心優しい老夫婦のピレモンとバウキスは、そんな現世のものにはもう要がないのだ。
二人が望んだものは、

「ふたり同時に死ぬこと。妻の葬いをみたくもないし、妻の手で埋葬されたくもない。そして更に、神官となって神様の神殿をお守りしたいと。」

「さらば、我が妻よ。我が夫よ。」二人は一緒にそう言い、同じ瞬間に樹の皮が二人を永遠に、その身が樹に変じてまで、仲良く並んでいる。

これは一見冷たいように見える、老夫婦側になってみれば、真摯な切実な問題であり、永遠なる愛の形なのだ。

老いて体が不自由になる者に、一人残されるものの淋しさがどんなものか…。一人で別世界に離れなければならない淋しさ。残された愛するものに埋葬を委ねる淋しさ…。

愛する者二人の寿命の訪れが、一緒に笑顔で永遠なる世界に旅立つことが出来るなんて、なんて素晴らしい夢なのだろうか。

| | コメント (0)

オウィディウスの『変身物語』より永久のいのちを…

古代大昔から、こんな素晴らしい物語を作れる人がいた。
ギリシャ・ローマ神話で、変身にかかわる部分だけが抜粋された、オウィディウスの『変身物語』。この文学の中には、人間や社会の哲学や真理・心理が満載だ。海外文学を専攻する人ならば必読の詩人の一人と言われている。

オウィディウス 変身物語〈上〉〈下〉 (岩波文庫) (文庫)
オウィディウス (著), Publius Ovidius Naso (原著), 中村 善也 (翻訳)
                                  
動物、植物、鉱物、星座等に変身する奇妙な不思議な物語がギリシャ・ローマ神話にはたくさんある。
有名な話では、水の表面に映る自分の姿に恋をして、恋に憔悴するあまり、スイセンになってしまった美青年ナルキッソスとか、狩猟をしている時、イノシシの牙で死んだ美少年アドニスの話。死体から噴き出した血がまっ赤なアネモネになったる、月桂樹に変身した美少女ダフネ、ヒヤシンスに変身した少年ヒュアキントス、アドニスの母ミュラは没薬の木に、ピレモンとバウキスの老夫婦は二本の寄り添う木に、ヘリオスの娘たちはポプラに、クリュティアはひまわりの花になり、アルキュオネはカワセミになり、アラクネは蜘蛛になり、カリストとカルカスの母子は大熊座・小熊座に、アクタイオンは鹿に変身、その鹿をかみ殺した猟犬は大犬座・小犬座になったとされる。
動物、植物、鉱物、星座等に変身することによって、自然と一体化して、永遠の生命を生きるものたちについて作品化している。

この中で、最近特に気になった作品を次に紹介する。
オウィディウス 変身物語〈上〉巻八 「ピレモンとバウキス」

Photo

| | コメント (2)

大好きな歌を歌うように安らかに逝った愛しの父④告別編

それから、葬儀の方と、通夜や告別式、初七日などの打合せが始ま
った。短い時間で決めなければならないので、大変だ。意外といろ
いろあるのでビックリした。写真のサイズ、形、色、背景、服、骨
壷の色、サイズ、形とデザインなど、車のデザイン、色、形、部屋
やインテリアの大きさ、デザイン、色、お坊さん、香典やその他の
お返し、食事、受付…などなど、決めることが次から次へとまだま
だ山のように沢山あった。

葬儀の方は、いろんなケースをご存知なのか、いろいろもめたり話が
混線したり、脱線したり、まとまらない時も、上手にツッコミを入れ
て、うまくまとめてスムーズにいいようにして運んでいくので凄いな
あと思った。

お通夜の日、葬儀会館に行き、その夜泊まる待機室で、父のお色
直しのような儀式をしてくれた。それは、映画の「おくりびと」
で納棺師がやるような身支度をしてくれた。お水で清めて、体を
洗って、衣服を整えて、お化粧をして、本当に美しくなった。
抜け殻だけになってしまった父を、こんなに美しい振る舞いで、
こんなに綺麗に整えられるこのようなこのお仕事というのは、な
んて素晴らしいのだろうかと感動をした。
 
私も病院時代、何度も死後の処置で、遺体を整えたことがあったが、
それは、病院内で決められた一定のことしかやれないし、そんな深い
知識もないので、ただただルーチンで淡々とやっていただけだった。
 
でも、この納棺師のお仕事は、「道」の作法に通じる荘厳さと審美と
神聖さがあるなあと思った。

通夜、告別式といろんな方々が訪れてくれた。
そして、何よりも、この日、何十年も合っていなかった沢山の叔父、
叔母や、いとこ達に合うことができた。いつのまにかに子供がいた
り、外で突然出くわしても絶対にわからないだろうという位、無茶
苦茶様相が変わっていたりして驚いたり、感激したりだった。

そして、とてもびっくりしたのが、お坊さんのお経だった。

父方の宗派が、黄檗禅宗というのだった。今まで母方の浄土真宗や
その他の葬儀では映画やテレビでいつも見るようなスタイルで、想
像がつくとおりだ。ところが、この黄檗禅宗の葬儀は初めて見た。
 
小さい時に、父だったか、祖父だったか、一度「おとき」でつれて
いってもらったことがあった。沢山の派手な格好をしたお坊さんが、
お経の仏典をトランプのようにシャカシャカさせたり、扇のように
したりしていて、大きな輪になって廻っりながそれらをやっていて、
ビックリして笑ってしまったことを思い出した。
 
今回は、トランプのようにシャカシャカさせたり、扇のようにはし
なかったが、やはり、衣装が豪華な3人のお坊さんが沢山の道具を
持って、前に座った。
 
道具は楽器で、お経が始まると、3人はチベットのお経のように声
を合わせて大木魚、横小太鼓どら、はつ(小型シンバル)、鈴等をそ
れぞれ鳴らしながら、なんというか、オーケストラ風合唱合奏団の
ようだった。だから、音痴では、出来ないなあと思った。
絶対にウトウト眠気が起こらないお経で、見ごたえ、聞きごたえの
ある、これまた、面白いというか、素晴らしい初めて見るお経だった。

夜や告別式の時も、皆が来たり帰ったりする時間帯には晴れて、
葬儀が始まると雨が降るというような、グッドタイミングな天気
だった。
父はなんて、ラッキーなんだと思った。もしくは父が皆の為にし
てくれているのかな…。

埋葬するために骨壷に骨を入れる場所での儀式も、今まで体験し
たものとは違っていた。昔は、みんなで取り囲んで、みんなで骨
を全部壷と小さい壷の中に入れていたように記憶するが、今回は
小さい壷に、頭部の主だったところだけ皆で列になって順番に入
れて、最後の数個は親族だけで入れて、残りはそこの施設が埋葬
するというやり方だった。更に、そこの係の人は、骨や骨壷への
埋葬の仕方について細かくいろいろ丁寧に説明してくれた。 

全て終わって、骨壷と共に家に帰ってた。他、いろいろ忙しい日々が
続いたが、私も姉も弟達も皆自宅に帰った。母は、まだウトウト居眠
りをする間もないくらい、後から後から訪問者が訪れたり、香典や弔
電の郵便が届けられたりで、忙しいとのこと。
 
むしろ、今はボ~ッとする暇が無い方がよいだろう。後は母の体調が
崩れない程度にボチボチとうまくこなしてくれることを祈るばかりだ。
 
葬儀に来てくださった方々、弔電、香典、お花を送ってくださった方
々、お線香をあげに家に訪問して下さった方々に、心から感謝する。
Photo_3 

| | コメント (0)

大好きな歌を歌うように、安らかに逝った愛しの父③臨終編

翌日、心電図等のデータは極めて悪いが、まだ手足は動
かすし、目も開ける。
ずっと口から栄養を入れていないので、母が心配していた。
父は、氷をいつもいつも欲しがっていたから、少し入れたら
美味しく食べるかも。と、カキ氷位にした小さな氷を口に入
れたら、父は美味しそうに食べた。
 
更に翌日、やはり、データがどんどん弱く低くなった。医者
は、それでも、透析が出来なくなったら、その日か翌日には
峠が来てしまうので、父の生命力の強さには驚いていた。

そして、とうとう最期の日がやってきた。私が九州に来る前
から、長い間 ずっと雨が降ってなく、あちこち断水で、生
活に弊害があるほどの状況だったが、この日は、朝からバケ
ツをこぼした様な土砂降りだった。

朝、血液の混じった嘔吐を2回もした。それから更にどんど
ん弱った。
もう手足の力も弱まった。看護師が一通り、身なりを整えた
後、私は父が今一番安楽で喜ぶことは何だろうかと考えた。
もう、今となっては、呼びかけるのも、苦痛を与えそうな気
がしたので。

そこで、思いついたのは、父の手を触れて、父が大好きだっ
た、よく歌ってくれた歌を歌うのが良いかもしれないと思っ
た。
そこで、私は歌詞の忘れたのはハミングで、知っているのは
耳元で父と一緒に歌った時のことを思い出しながら歌った。

すると父は、うっすら目を開け、口元も少し動いているよう
な、まるで、父も一緒に歌っているような感じだった。その
うち、母もやってきて、母も涙を流しながら一緒に歌った。

姉も帰省し、母、姉、私とで父を囲んだ。弟は仕事の関係で
どうしても訪ずれることができなかった。どんどん心電図等
の波形が悪くなっていった。
 
でも、父はまだ手を少し動かすことができたが、母は、泣き
ながら、

「もう、無理しなくていいよ。お父さん、もう大丈夫だか
らね。私も大丈夫だからね。もう頑張らなくてもいいんよ。」

と言うと、心電図の波形が嵐の津波の様に大きく波打ち、
それから「0」になった。

肉体から完全に魂(生命)が抜けきって出る時というのは、
こういう感じなのだろうか…?

| | コメント (2)

大好きな歌を歌うように逝った愛しの父②臨終直前編

翌日、心電図等のデータは極めて悪いが、まだ手足は動かすし、
目も開ける。
ずっと口から栄養を入れていないので、母が心配していた。父は、
氷をいつもいつも欲しがっていたから、少し入れたら美味しく食
べるかも。と、カキ氷位にした小さな氷を口に入れたら、父は美
味しそうに食べた。
 
更に翌日、やはり、データがどんどん弱く低くなった。医者は、それで
も、透析が出来なくなったら、その日か翌日には峠が来てしまうので、
父の生命力の強さには驚いていた。

そして、とうとう最期の日がやってきた。
私が九州に来る前から、長い間 ずっと雨が降ってなく、あちこち断水
で、生活に弊害があるほどの状況だったが、この日は、朝からバケツを
こぼした様な土砂降りだった。

朝、血液の混じった嘔吐を2回もした。それから更にどんどん弱った。
もう手足の力も弱まった。看護師が一通り、身なりを整えた後、私は
父が今一番安楽で喜ぶことは何だろうかと考えた。もう、今となっては、
呼びかけるのも、苦痛を与えそうな気がしたので。

そこで、思いついたのは、父の手を触れて、父が大好きだった、よく
歌ってくれた歌を歌うのが良いかもしれないと思った。
そこで、私は歌詞の忘れたのはハミングで、知っているのは耳元で父
と一緒に歌った時のことを思い出しながら歌った。

すると父は、うっすら目を開け、口元も少し動いているような、まるで、
父も一緒に歌っているような感じだった。そのうち、母もやってきて、
母も涙を流しながら一緒に歌った。

姉も帰省し、母、姉、私とで父を囲んだ。弟は仕事の関係でどうしても
訪ずれることができなかった。どんどん心電図等の波形が悪くなってい
った。
 
でも、父はまだ手を少し動かすことができたが、母は、
泣きながら、「もう、無理しなくていいよ。お父さん、もう大丈夫だか
らね。私も大丈夫だからね。もう頑張らなくてもいいんよ。」
と言うと、心電図の波形が嵐の津波の様に大きく波打ち、それから「0」
になった。

| | コメント (0)

大好きな歌を歌うように逝った愛しの父①最期の危篤帰省編

6月25日に不思議な夢を見た。
普通、覚えていないのに、くっきり、
はっきり、声も、景色も、色も。
亡くなった父方の祖父母が現れた。
父の病室に。

翌日、父の具合が悪くなった知らせを聞いて、
夢のこともあって、26日朝九州に帰省した。

去年の夏も父危篤で、帰省したが、あの時は、
まだ突然で、元気に回復することを切に願った。
そして、奇跡といわれつつ回復したが、そもそも
持病でもう体はボロボロの状態。
医者には、生きているのが不思議だと何度も
言われていた。
このまま生きていても苦痛なばかり。
 
今回は、苦痛無く、安楽であることを望み、
マッサージやら、祈りやら、介護を行った。
姉、弟もやってきたが、少し状態が落ち着いて
きたので、また帰っていった。

ついに27日に透析を最後の透析を試みた。
「これが不可能なら、もう本当に覚悟をして
ください」と言われた。
 
やはり、不可能だった。。。。。

医者に、今夜が峠であることを告げられたが、
その夜、また調子が良くなったので、姉弟は
帰省せずに、様子を見ていた。
医者からの、再びびっくりされた。

でも、心電図やら、モニターのデータが刻々と
弱まっていた。本当に、もう、去年と違って、
お別れの時が近づいている感じがした。

| | コメント (0)

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »