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大好きな歌を歌うように逝った愛しの父②臨終直前編

翌日、心電図等のデータは極めて悪いが、まだ手足は動かすし、
目も開ける。
ずっと口から栄養を入れていないので、母が心配していた。父は、
氷をいつもいつも欲しがっていたから、少し入れたら美味しく食
べるかも。と、カキ氷位にした小さな氷を口に入れたら、父は美
味しそうに食べた。
 
更に翌日、やはり、データがどんどん弱く低くなった。医者は、それで
も、透析が出来なくなったら、その日か翌日には峠が来てしまうので、
父の生命力の強さには驚いていた。

そして、とうとう最期の日がやってきた。
私が九州に来る前から、長い間 ずっと雨が降ってなく、あちこち断水
で、生活に弊害があるほどの状況だったが、この日は、朝からバケツを
こぼした様な土砂降りだった。

朝、血液の混じった嘔吐を2回もした。それから更にどんどん弱った。
もう手足の力も弱まった。看護師が一通り、身なりを整えた後、私は
父が今一番安楽で喜ぶことは何だろうかと考えた。もう、今となっては、
呼びかけるのも、苦痛を与えそうな気がしたので。

そこで、思いついたのは、父の手を触れて、父が大好きだった、よく
歌ってくれた歌を歌うのが良いかもしれないと思った。
そこで、私は歌詞の忘れたのはハミングで、知っているのは耳元で父
と一緒に歌った時のことを思い出しながら歌った。

すると父は、うっすら目を開け、口元も少し動いているような、まるで、
父も一緒に歌っているような感じだった。そのうち、母もやってきて、
母も涙を流しながら一緒に歌った。

姉も帰省し、母、姉、私とで父を囲んだ。弟は仕事の関係でどうしても
訪ずれることができなかった。どんどん心電図等の波形が悪くなってい
った。
 
でも、父はまだ手を少し動かすことができたが、母は、
泣きながら、「もう、無理しなくていいよ。お父さん、もう大丈夫だか
らね。私も大丈夫だからね。もう頑張らなくてもいいんよ。」
と言うと、心電図の波形が嵐の津波の様に大きく波打ち、それから「0」
になった。

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