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2009年8月

ヘンリーの妻たち…第5夫人キャサリン・ハワード…Part.2

Photo_3 キャサリンが夫ヘンリー8世に直訴しようとしたハンプトン・コート宮殿Hampton Court Palace の廊下は、今はキャサリンの幽霊が無実を訴えようと出没する怪奇スポット「ホーンテッド・ギャラリー」(幽霊の廊下)として、世界的に知られているので、4番目の妻よりも、5番目の妻の方がいまだに世界中の人達から忘れられない存在となっているのかもしれない。
このキャサリンの幽霊で、金儲けしている業界は、見返りにキャサリンがもっと喜びそうなことをしなければならないかもしれないんじゃないだろうか…。

それにしても、ロンドン塔では数多くの者が処刑されているので、数多くの亡霊がいるといわれている。現在は刑務所であり、観光名所となっている。

次回は、最後に、最もヘンリーから信頼され、長生きした第6夫人キャサリン・バーについて。

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ヘンリー8世の妻たち…第5夫人の悲劇…Part.1

5 キャサリン・ハワード(Katherine Howard, 1521年-1542)5番目の王妃(1540年結婚、1542年離婚)。
                                           ヘンリー8世は前王妃アン・オブ・クレーヴズ(4番目)と離婚して5番目のキャサリンと再婚したが、キャサリンは前の恋人の従兄弟のトマス・カルペパーフランシス・デラハムらと交流があったため、ヘンリーに「不義密通」を疑われ、逮捕された。キャサリン本人は密通を否定した。しかし聞き入れられず、事実は曖昧なまま処刑された。

~~~ま、この時代ではよくあることで、難くせつけて殺しちゃうってのは当たり前!!しかも権力者は優位なので、朝飯前!!だから、運が悪かったというしかないね。最悪だぁ~~~

キャサリンは、第2王妃アン・ブーリンと従姉妹(第2夫人の母の姉の子)の間柄。
貴族の娘に生まれた宿命としてキャサリンは、第4王妃アン・オブ・クレーヴの侍女として仕えた。しかし、ヘンリー8世は、第4王妃アンに失望していたので、キャサリンを見かけて、たちまち恋に落ちてしまった。ヘンリー50歳、かたやキャサリン18歳、2倍以上の年の差があった。今回の結婚式も派手な戴冠式はやらなかった。

キャサリンは王妃になってからも、本心は恋人のトーマス・カルペパーとフランシス・デラハムとの間で揺れ動いていたようだが、 (1541年8月、キャサリンの手紙より) 実際は、王妃になってからは不倫の事実はないが、当時は"気に入られなければ、もしくは疑われたら、すぐに拷問処刑"が当たり前。誰もが自分や自分の家族だけは救われたいから、キャサリンを擁護する者も、無実を証言する者もいなかった。

キャサリンは11月22日、王妃の称号を剥奪され、2日後「abominable, base, carnal,
voluptuous and vicious life(非常に不愉快で卑しく汚らわしく、淫乱な生活)の罪で
起訴された。

キャサリンは誰をも傷つけず、誰の死も望んでいなかったにもかかわらず、ヘンリーやその他の陰謀によって、必要以上に悪女化された。
キャサリンの死後、証拠も無いのに、いろんな男と寝る尻軽女であるかの如く語られたりしている。最も尻軽なのは、ヘンリーなのにも関わらず…。おかしな話だ。
アン・ブーリンが罪もない前王妃やメアリー王女の死を望み、実際暗殺を企てているのに対し、キャサリンは、あまりに善良で無邪気だったという。実際にはキャサリンは、義理の娘であるメアリーに、同年代の友達のように話しかける明るい女性だった。

~~今も昔も、どの世界でも、表は天使のように、清く美しく微笑みを交わし、内には邪悪卑劣極悪非道の悪魔を強烈に持っている方が、認められ、悪いイメージを与えないむしろ可愛そうな美しき女性として伝えれられるのは、この現象世界といいうものなのだろう…。~~

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「ヘンリー8世の妻たち」~第4夫人 アン・オブ・クレーフェ

4_2 アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves、1515-1557)

3番目の妻ジェーンが他界した後、一月経つか経たないかのうちに、ヘンリー8世は、他国王室と縁組みすべく、ヨーロッパ中に根回しした。
大臣のトマス・クロムウェルが王の見合いのために画家ハンス・ホルバインに依頼して肖像画を描かせた。沢山の候補の中、ヘンリーはドイツ国の姫の肖像像を見て、その絵の女性に一目惚れした。

ヘンリーはその肖像画の女性に早く会いたくて会いたくていても立ってもいられず、忍び込んでアンに会いに行ったが、なんと、実際に会ってみたら、アンの姿は肖像画に描かれたほど美しくなかったため、「絵に描いてある女とは違う!」と激怒したというエピソードが残されている。

事実、クロムウェルはその責任を取らされてロンドン塔で処刑されたが、ホルバイン自身はのお気に入りの画家であっために刑死は免れた。

アンはわずか半年で王から離縁され、更にアンはあっさり離婚を承諾したのでその見返りに、「王の妹」という称号と所領と年金を与えられ、ロンドン市内のベイナーズ城で余生を送った。

離婚の理由としては、かつて「ロレーヌ公フランソワ1世と交わした婚約をきちんと解消していなかったこと」が選ばれたが、実態は、当時ヘンリー50歳、アンは24歳、アンと会う度にヘンリーは自分が年を取ったことを思い出すので腹が立ったばかりではなく、ヘンリーは学識に溢れ、彼の趣味である文学、音楽、絵画等の芸術にもアンは殆ど興味が無く、英語も下手だった。なぜなら、ドイツの花嫁修業は、「刺繍が出来ること」で、当時、貴族女性が文学や音楽や絵画等を習うなど御法度だったのだ。だからヘンリーアンと一緒にいてもちっとも面白くなかったのだ。

離婚後も王室の行事の度に国王やその子供達への気前の良いプレゼントを持って現れる「王の妹」は非常に好かれたようである。ヘンリーアンに対してプレゼントを沢山送ったりしていたようだ。

しかしながら、第4夫人アンは、6人の妻のうち、最も幸福かつ自由な人生を送った女性であったといわれる。今までの后達は皆死んでいたし、アンを紹介した大臣は処刑されたのに、アンは殺されず、イングランドの王族として扱われ、金銭的にも不自由せず、この時代の貴族の義務である政略結婚をまたする必要もなく、好きなことをして余生を送ることができた。生没年を見ても、ヘンリー8世の王妃の中で一番長生きしている。

このように昔から、運の良い人というのはいるわけだ。本人の人徳か、それともアンの祖国の見えざる力というか先祖か何か守られていたんじゃなかろうか~。

さて、次回は、運が良い若くて美しい第4夫人アンとは対照的に、運が悪かった若くて美しい第5夫人キャサリンについて書くことにする。お楽しみに(*゚▽゚)ノ。

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ヘンリー8世の妻達…第3夫人ジェーン

Photo さてさて、ヘンリー8世はというと、他の女性に心が向いていて、第2夫人のアンへの思いが冷めたために、無く実の罪で裁判にかけ、ロンドン塔で絞首刑にしてしまった話しを前回した。

今度は、その次の、ヘンリーの3回目の婚姻者のジェーンの話をしよう。

ヘンリーの心が奪われた女性というのは、アンの侍女だった、ジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509-1537)

ヘンリーは、長年つれそった第1夫人キャサリン・オブ・アラゴンや宗教を作ってまでして結婚した第2夫人アン・ブーリン)や、その反対した関係者を殺すまでのことをやらかしているわけだから、かなり心が病んで疲れていたようだ。
思い通りに何でも手に入り、権力使い三昧やり放題なのにもかかわらず、なぜだから心が癒されない。

そこで、大変倹約家で、物静かで、控えめで、丁寧なジェーンに、ヘンリーはとても心が癒されたらしい。ヘンリーにとっては初めて真剣に心の奥から心を通わせることができたという。

ところが、このような控えめで倹約家のジェーンのことだから、ヘンリーと二人になることを避けた。アンが無実の罪で捕らえられた頃、ジェーンは実家のウルフホール邸に隠れるように移り住んだ。ヘンリーアンの処刑の知らせを受け取ると、直ちにジェーンの元を訪れた。ありとあらゆる手を使って、ジェーンの元に通ったが、ジェーンは上手に二人きりにならないようにしたり、結婚にならないように避けていた。

しかし、権力好き放題で手に入らないことは絶対にありえないヘンリーのことだから、逃げられれば、逃げられるほど、追いたくなってしまうもの。しまいには、ジェーンの二人の兄を異例の大型出世をさせて、結婚を断れなくしてしまった。

アンが処刑された翌月に、シーモア家において、2人は密かに結婚式を挙げた。これは控えめなジェーンのたっての願いだった。

ようやく念願の男児エドワード6世(Edward VI, 1537-1553)を儲けたが、ジェーンは昔から病弱だったため、残念ながら、ジェーンは出産後すぐ亡くなってしまった。また、エドワードも15歳で病死している。

ジェーンは、ヘンリーの6人の妻の中で、最もヘンリーが癒された女性と言われている。その為、ジェーンは唯一、ヘンリーの墓の隣に埋葬されている。

~思うに、こりゃ、タタリというか、恐怖心というか、不安心というか…、例え、ヘンリーが心が癒されたといっても、権力好き放題に操るし、自分の欲望のために、この時代に無理矢理法律やら宗教やら変えちゃう独裁ぶりだからね、ジェーンも本当に落ち着いた心でいられただろうか…と思うよ。この世界、いつも裏切りや嫉妬・ねたみ・処刑と紙一重か隣り合わせだからね…。どこの世界でも、絶対的な最高権力者達というのは、物質的には欲しいものは手にはいるけれど、目に見えない本当の深く強く永遠なる幸福というのは手に入らないようだなぁ~。

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400年前のシェークスピア時代に活躍したもう一人の天才詩人ジョン・ダン

Photo_2 ジョン・ダン                                          
約400年前の、シェークスピアが活躍している時代と同じ時代に活躍していた画期的な詩人である。何が凄いかというと、当時のイングランドは、輸入文化(イタリア、ギリシャ・ローマ、フランス、スペインなどから)だったのを、それは、身近なものに対して科学的・哲学的なものを織り込んでうまく融合させ、新しいものを作ることに挑戦した。
John Donne, 1572年 - 1631年3月31日)は、イングランドの詩人、作家、後半生はイングランド(英国)国教会の司祭。

文学など芸術に力を入れていたエリザベス1世が亡くなったとき(1603年)、ダンは30歳だった。
ダンの生涯が波乱に満ちていた。

ダンは商人の家に生まれ、厳格なカトリック教育を受けた。彼はオックスフォードやケンブリッジ大学で学んだが、卒業に必要な「国王至上の誓い(Oath of Supremacy)」を拒否したので、学位を得ることができなかった。その後、ダンはロンドンの法曹院の1つセイヴィス・インの法学院に入ったが、弟とカトリック僧侶のトラブルで弟が死んでからはカトリック信仰に疑問を抱き始めた。成人にするにつれて、自由思想の影響を強く受け、志願兵となって大陸へ渡ったり、国璽尚書(こくじしょうしょ、Lord Keeper of the Great Seal of England, <of Great Britain>は、イングランド時代から<イギリス時代になっても>続く官職)の秘書になったりした。

その間、ダンの支援者(当時はそれをパトロンという)の姪アン・モア(15,6歳)と恋に落ちた。ダンが20歳の頃2人は密かに結婚した。(まるでロミオとジュリエットのように/当時は秘密婚が多かったという)

ところが、このことで、ダンは結婚に携わった司祭、立会人共に、投獄されてしまった。結婚が合法的と認められ釈放されたが、その後10年間は精神的にも肉体的にも苦しい生活を送り、自殺を考えたことさえあった。ようやく晩年に、信仰生活に光明を見出して国教の牧師となり、セント・ポウル寺院の副監督となった。

ダンは初期には諷刺詩や奔放な恋愛詩を書き、晩年には敬虔な宗教詩を書いた。彼の詩はいずれも豊かな詩的感情と、繊細で微妙な観察と、知的で簡明な表現に荒れている。
ダンの晩年の瞑想的宗教的な傾向と、奇想に富む比喩の技法の影響を受けた一群の詩人に『形而上派詩人』(Metaphysical Poets)と呼ばれる。この名称は後生の人達がダンの詩をそう名付けた。形而上派詩人とは恋愛の情感を冷徹な論理を持って吐露している。あえて融合したところに新しい価値がある。『不調和』の『調和化』

当時の詩にはルールがあった。丁度日本の和歌や俳句のリズムのように。
ダンの文体の特徴は

 ①コンシート(conceit: 詩文などの奇抜な着想,奇想; 奇抜な表現)と呼ばれる奇想を用いている。
 ②口語的言語を大胆に使用し、低俗な表現も辞さない。
 ③形而上学的な用語や、哲学的学問的述語が多出する。
 ④牧歌詩やギリシャ・ローマ神話への言及が少ない。
 ⑤韻律が不規則で、耳障りな不協和音が多い。(このスタイルは「規則的韻律」と「自由な話し言葉」の双方を擦り合わせようとした形跡が濃厚といえる)                  (From Prf.Tsutsynu)

ダンは決して金持ちの世間知らずというのではない。
カトリック教会で弟が殺されたり、志願兵になって大陸に渡ったり、
秘書として沢山の仕事もこなしたりと様々な経験を持ち様々な厳しさにも
対面してきた。

THE GOOD-MORRW 「おはよう」は、パトロンの姪アン・モアを
心から愛していた。

「そこでさあ、お目覚めの僕らの魂、おはようさん。
みかわす眼のうちに不安の影はひとつもない。
だってこの愛があればほかのものに目を奪われることもない。
この小さな部屋が世界の全てなのだもの。
新世界の発見なんか探検家にまかせておけ。
地図をひろげて無数の世界を見ることなんか 人様に任しておけ。
僕らには僕らの世界がある。お互いが一つの、二人で一つの世界がある。…」

これらのコトバは、単なる夢や想像のパラダイスを希望して書いたように思えない。大陸に渡ったり、様々な細かな厳しい経験を見てきたダンだからこそ、それらの言葉の意味は深いように思われる。

SONGS AND SONNETS『唄とソネット』

THE GOOD-MORROW 「おはよう」

The Flea 「蚤」   (画像説明版)                                                      

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『ヘンリー八さんの妻』たち~第二夫人アン・ブーリン

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第一夫人キャサリンとの結婚から22年後、キャサリンの侍女だったアン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507-1536)と再婚するために、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会から脱退して、国王である自分を頂点とするイングランド(英国)国教会(プロテスタント)を創った。

当時はカトリック教会では、離婚して再婚することは許されていなかったが、ヘンリーキャサリンが「兄アーサーの妻だった」という事実で「婚姻の無効」の認可をとろうとしたが、結局、許可されなかった為、自ら教会を作ってしまい、強引にキャサリンと離婚し、アンと正式な結婚をした。

実は、本当は、ヘンリーアンの妹メアリー・ブーリンといい仲で、アンの妹と結婚するはずだったのだが、姉のアンは妹からヘンリーを奪い取ったわけだ。

結婚後すぐに女児エリザベスを出産したが、ヘンリーは、出産したばかりのアンに「次は男の子をたのむぞ」と言って、すぐに立ち去ってしまった。その後、アンは2~3回も流産してしまったことや、アンは大変な浪費家で口やかましかったとなどから、ヘンリーアンへの愛情は次第に冷めていった。そのため、結婚後わずか2年で、アンを「反逆、姦通、近親姦および魔術」という無実の罪で裁判にかけ、ロンドン塔で絞首刑にしてしまった。

さて、ヘンリーはというと、彼の心はすでに、アンの侍女だった、ジェーン・シーモアJane Seymour, 1509-1537)に移っていた。そこで、ヘンリーがやったこと、そして、ジェーンが行ったことはまた興味深い。これは次に書くことにする。

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『ヘンリーヤ~サンの妻』たち…第一夫人キャサリン

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「ねえ、ねえちょっと~、チューダー朝時代のイギリスで
 王だったヘンリー8世(Henry VIII,1491-1547)知って
 る?」

「知ってる知っている、彼は、確か、幼い頃から君主で、
 語学、文学、芸術、スポーツなど才能を発揮し、文武
 両道で、それに、イケメンだったそうじゃない。」

「それだけじゃないわよ、自分の権力で、6人の妻を持
 った、欲しいものは絶対に手に入れないと気が済まず、
 飽きたら殺す極悪非道者でもあったのよ~!」

「そりゃまた、凄い人に出会ってしまった、かわいそうな
 妻たちというのは、どんな女性だったの?」

「最初の妻は、スペインの王様の娘で、キャサリン・オブ・
 アラゴン(Catherine of Aragon)というんだけどね、ヘンリー
 の兄だった、アーサー(Prince of Wales)が急逝してね、ヘ
 ンリーは皇太子になってね、父の死によってヘンリー8世
 として即位したんだけどさ、その2ヶ月後に、キャサリン・
 オブ・アラゴンと結婚したのよ。」

「権力あれば何でもありだね。ヘンリーは彼女が好きで結婚
 したのかな~?」

「実はね、キャサリン・オブ・アラゴンは大金持ちだったか
 らね、巨額の持参金の返却を惜しんだ父のヘンリー7世は、
 次男ヘンリーとの婚約を持ちかけたのよ。」

「どの時代も、金持ちには弱いよね~」

「それでも最初はね、仲睦まじかったらしんだけど、度重な
 る流産と死産やら、ヘンリーの気まぐれやらその他で、
 年月も立ってさ、冷めちゃうわけよ。」

 
「この当時、毒薬やらまじない師などもあったので、こうい
 う宮廷内では流産や死産にさせるようなことはどこの国で
 もよくあることね。」

「やっと産まれた子供も、女の子でね、当時、イギリスでは
 女系への王位継承が認められていなかったから、年もとっ
 て子供が産めなくなったキャサリンと離婚することを考え
 始めたのよ。」

「最悪ね~、当時のイギリスの女性は!」

「それから、ヘンリーは更に国を動かすほどの大事件を起
 こすのよ。それが、2回目の結婚なんだけど、これは、
 次に話すね。」

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イギリス文学史とアングロ・サクソン人

約5世紀のお話

アングロ・サクソン人は元来多神教信者で、日月を崇拝していた。(北欧神話)

その中で、「天神ティウ:(Tiw)」、「軍神ウォデン」(Woden)、「風神ソール」(Thor)、「平和の女神フリア」(Frig)、「土神サトゥルヌス」(Saturns)、moon(月)等の原始宗教の神々の名前が今日の七曜の名として残っている。8火曜日から木曜日が北欧神話で、土曜日がローマ神話)

火曜日は北欧神話の軍神チュールの日(Tiw→Tuesday)
水曜日は北欧神話の主神オーディンの日(Woden→Wednesday)
木曜日は北欧神話の雷神トールの日(Thor→Thursday)
金曜日は北欧神話の愛と美と豊穣の女神フレイアの日(Freya→Friday)
土曜日は北欧神話の農耕神サトゥルヌスの日。(Saturnus→Saturday)
これらに太陽の「日曜日(Sun-day)」と月の「月曜日(Moon-day)」を加えて七曜(週Week)。

北欧は暗く、厳しい自然で運命観に支配されていた。ところが、紀元432年にキリスト教がアイルランドとイギリスのケントに上陸し、「良心、慈悲、来世の希望」を広めた。当時、侵略・権力争いが酷く、土着の者達は疲れて、心の安住のため、自身を見直すきっかけとなり、新しい宗教(キリスト教)に救いを求めた。

ところが、それが、政治と宗教の癒着にもつながり、イギリス国民は更にあちこち揺れる政治的宗教の中を翻弄されることになる。

1066年のノルマン来征の結果の一つとして、イギリスには物語文学が入ってきた。それがロマンスの移入だ。

【今までのイギリス】    【ノルマン来征後】

叙事詩       →    ロマンス

英雄         →        騎士

質実剛健・     →   感情豊か

固くてワイルド        繊細さ

常識的       →   想像力                         

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「ある天才詐欺師の実話」を使った詐欺犯罪事件

先日、PQクイズを紹介したが、もう一つ面白い有名なPQクイズを紹介する。このクイズは、下記の事件(2009年7月25日(土)ニュース)の犯人がまねしたものと思われる。だから、このクイズのことを知っていると、詐欺を防げるかもしれない。

<この問題もある天才詐欺師の実話!>
■問題■
 かつて、銀座の高級クラブばかりを荒らし回る、一流詐欺師がいた。
  彼はたった一本、電話をかけるだけでタダで豪遊しまくっていた。
  その電話の内容とは・・・

ママ「はい。クラブ・ルージュです」
詐欺師「やぁ。ママ。私だよ、私。分かるかい?」
ママ「…あら、安田さんですよね?いつもありがとうございます」

ママに常連客だと思わせる もくろみはまんまと成功。
しかし、このままでは実際にお店に行けば安田氏ではないことがばれてしまう。
さて、この後彼は、タダで豪遊するために、何と言ったのでしょう?

■答え■
   「『取引先の人が行くけど、金はとらないでくれ』と言った」
   常連客を装った詐欺師は、電話口で続けてこう言った。
詐欺師「今夜10時に取引先の江藤社長が行くから、もしオレが
    遅れたら接待しておいてくれ。くれぐれも勘定を払わせる  
    なんて失礼な真似はしないでくれよ」
ママ「モチロンです。かしこまりました。」

あとは、江藤社長になりすましてクラブに行くだけ。実に巧妙な手口で1円も払うこと
なく、銀座のクラブを荒らし回った

[ホステスに「俺だよ」詐欺、常連客装いだます]2009年7月25日(土)11:36                  

   「洋服をプレゼントする」とウソをつき、ホステスから謝礼名目で現金をだまし取ったとして、宮城県警仙台中央署は24日、新潟県警から指名手配されていた住所不定、無職永野義実容疑者(60)を詐欺容疑で逮捕した。同署と新潟中央署の発表によると、永野容疑者は5月15日、新潟市中央区のクラブに常連客を装って電話し、20歳代のホステスに「知り合いの副社長が13万円のスーツをプレゼントする。お礼に3万円渡してほしい」と依頼。翌16日、副社長になりすまして同区内のホテルでホステスに会い、3万円をだまし取った疑い。永野容疑者はクラブに行ったことはなかったが、「この前飲みに行った俺だ」「今、銀座で副社長と飲んでいる。明日、新潟に行く」などと言って、ホステスを信用させていた。 24日に仙台市内の飲食店で同様の被害があり、仙台中央署員が市内のホテルにいた永野容疑者を逮捕。永野容疑者は、徳島県警からも詐欺容疑で指名手配されていた。調べに「沖縄県以外の全国の繁華街に行った。数十人からだまし取った」と供述している。

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グリコの『ポッキー』のCM

グリコの『ポッキー』のCM
夫が今日早朝2:40からポッキーのコマーシャルロケのため出ていった。
今日私は当番早出の仕事があるのに、早朝からちょっときついお出かけだ。

ポッキーのあの大人数でやる軽快なダンシングのコマーシャル。

オーディションでは審査する人は一度不採用にしたのに主催者が夫をどうしても起用したいと異例の合格だったという。

朝から無茶苦茶忙しい撮影だよと合間の休憩でメールくれた。

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