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2009年9月

母校の養心女子学園(河口湖)に人事異動になりました!!

Photo_2 何と、何と、10月16日から、生長の家養心女子学園に人事異動で、移ることになりました。

10年前に卒業したが、もうすっかり、東京に慣れたので、これから寒いの大丈夫かな…?

でも、富士山綺麗だろうな~~~happy01heart04 在学中も、毎日富士山撮って記録していたっけ。

綾小路きみまろ邸も近く!!!

新たな新天地、新たな人生、新たな運命、またなんとかがんばりましょう!!

「常に、今此処天国極楽浄土shine

http://www5.ocn.ne.jp/~yousin/ 生長の家養心女子学園 

401-0301 山梨県南都留郡富士河口湖町船津5027-1
TEL.0555-72-2110/FAX.0555-72-3235

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友人から素晴らしいお話

友人から素晴らしいお話
友人が話してくれた。他にも沢山の体験談を楽しく話してくれた。
彼女の底抜けに明るく、しかもどんな現象にも自分を上手に誉めたり感心したり自信を持ったりするのが上手で、更に忙しい立場にもかかわらず、どんな人に対してもとことん楽しさ明るさを導き出す。
また今回も私に面白可笑しくいろいろ話してくれた。実際にその声にはその中に芯の通った強さもあり私はそんな友人にすっかり影響された。
こんな友人に出会えたことに心より感謝する。 
 

『急に右手が痛くなった事があったんです。その時私が思った事というのが「何で右手なの?左手だったらいいのに‥」だったのです。しばらくして左手が痛くなりました。その時私は「左手までなんて‥」と思ったのです。私が「左手だったら良かったのに‥」と思ってしまった事を思い出したのは、更に日にちがたってからです。
「どうして左手も痛くなるの‥」というのは、右手の痛みの時、右手の日頃の働きに感謝すべき事であって、決して「左手だったら良かったのに‥」と思ってはいけない事だったんです。
だから考えてほしいのです。「どうして私ばっかり‥」という前に、何か物事が起こってくる時、どういう感情でその物事を受け止めたのかを‥。
私はその左手の痛みの意味を悟った時、両手に感謝しました。そうしたら両手共、痛みは和らぎましたよ。
一緒に頑張りましょうね。(^-^)☆』

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『ブタのいどころ』こりゃまた納得!

Buta

これがまた、なかなか奥が深くて『真理』だな〜、とつくづく思うよ。
自分に自信がないから自分を見るのが怖いんだね。
そうやって怖いから自分から逃げてばかりなんだね。
じゃあ、逃げずに勇気持って、じっくり、自分を見つめてあげるにはどうしたらいい?

『荒野でも
 砂漠でもない
 
  ものがあふれている
 
 道が無いんじゃなくて
 道が見えない…』

 
(メディアファクトリー出版、小泉吉宏著『ブタのいどこ』)

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『ブタのいどこ』の本が面白い!

Photo_2 メディアファクトリー出版の小泉吉宏著『ブタのいどこ』を読んだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4840107874/

4コマ漫画になってるが奥が深い。

以前小泉氏は『ブッタとシッタカブッタ』を出版して無茶苦茶有名になり、今でもファンが多い。この『ブタのいどこ』は姉妹篇と書かれている。 
第2章「理想」の21ページにこの貼付ストーリーはある。
 
たしかにうなずける。「理想」が大きいと、いつのまにかに、責めたり、裁いたり、縛ったりする。しかも「理想」の強い自分なら、自分さえも攻撃してくるのもわかる。  
「理想」だけじゃ生きられない。現象の事実も受け入れなきゃ。
 

Bu_4 同20ページには、

「あるところに、理想の生き方をしようと決意した花がいた」

「豊かな地ではなく、
砂漠の中で生きてこそ、花の生を悟れると信じた」
 
「やせても、枯れても、理想を生きるべきだ!!」
 
「そして、枯れた。」

そして第16章113ページもまた奥深い。

カイカブッタ 「ああ…、夢も希望もない…」
 
ブッタ         「絶望しているのか?」
 
カイカブッタ 「はい…」
 
ブッタ         「まだ希望が残っているから絶望するんじゃ」
 
カイカブッタ  「…」
 
ブッタ         「心の中の希望がみんな無くなれば絶望もなくなるよ」
 
カイカブッタ  「…。」

 
更に続けてシッタカブッタは
希望明日を約束してくれないのに、希望に振り回されて、という時間を忘れちゃうことってあるよね。
という時間をさ…』

『…』

『そうだよな…
過去という時間に対して希望を抱かないよな…』

悲しみも怒りも屈辱も起きない為なら喜びも嬉しさも楽しさもいらない。何も感じない空気のような心でありたい…。

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「綾小路きみまろ」さんの本が更に面白い!!

綾小路きみまろさんがよく漫談で話される傑作ことば…

「特に女性は鏡があるために、必死になるところがあります。鏡があるために、人生、右往左往、あーだこーだと、迷いも悩みも深まるのです。

 十代は鏡の前で大はしゃぎ。
 二十代は鏡の前でにらめっこ。
 三十代は鏡の前で美しく微笑んだ。

 
そうでしょ、奥様。ご記憶にあるはずです。

 四十代は遠目の姿に納得した
 五十代は鏡を拭いた。あら、おかしいわね、この鏡。
 
だんだん鏡の方がおかしくなってきた時代です。
 
 六十代は鏡の前を通り過ぎるようになった。
 七十代、とうとう鏡を捨てた。あの鏡、きっとヘン。鏡の私は、私じゃないわ。
 いよいよ八十代。「奥様こそ、女の鑑」といわれた。

そうです。作りの物の鏡なんかなくても、ヘッチャラです。ご自身が鏡になったのです。これが人生なんです。」

面白い散文だが、この中に、真理がある。納得させられ同時に笑える。
きみまろさんの本は、CDやDVDで語られない、裏無しというか、詳細なことが書かれているので、更に面白いし、元のネタを更にウケサセル!!
疲れているときは、心の浮き沈みのあるような時は、この本は、思わず、大笑いを勃発噴射させて、止まらなくなる。電車の中で読むのは注目されるのをご覚悟をという感じだ。
笑いには不思議な力がある。

「私もこの仕事でやっと食べられるようになりました。今日も朝9時から撮影が入っております、レントゲンの…」

(綾小路きみまろ著「こんな夫婦に誰がした?謹んでお慶び申し上げます」より)

読みながら、きみまろさんの独特のイントネーションや喋り方が脳裏に焼きつくので、五感で笑える超傑作だ!

Kimimaro

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また職場周りの小さな花たち

また職場周りの小さな花たち
今日は残暑残るも、秋のような陽射しや風を感じます。
お昼に職場周りを歩いていたら、また小さな小花を見つけました。
隅っこでよく見ないと見過ごしてしまいそうだけど、足を止めてしゃがんで覗いてみたら、なんと可愛らしいことでしょう!心が『ホッ』と癒されましたo(^-^)o
だからまた撮ってみました。

こんな花のようでありたいshine

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ヘンリーⅧ世の妃たち

6 ヘンリー8世の6人の妻(妃)たち

(1)キャサリン・オブ・アラゴン(Catherine of Aragon, 1485-1536) 1509年結婚、1533年離婚
はじめアーサー王太子妃。死別後、その弟ヘンリーと再婚。メアリ1世の母。結婚から20年余りを経た後に離婚。

(2)アン・ブーリン(Anne Boleyn, 1507- 1536) 1533年結婚、1536年離婚
エリザベス1世の母。元はキャサリン・オブ・アラゴンの侍女。離婚後にロンドン塔で刑死。

(3)ジェーン・シーモア(Jane Seymour, 1509- 1537) 1536年結婚、1537年死去
エドワード6世の母。元はアン・ブーリンの侍女。エドワード出産後に産褥死。

(4)アン・オブ・クレーヴズ(Anne of Cleves, 1515- 1557) 1540年結婚、同年離婚
ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヨハン3世の娘。結婚後6ヶ月で離婚。
肖像画があまりにも美化されていたため、初対面時にヘンリーが激怒したというエピソードが残されている。

(5)キャサリン・ハワード(Katherine Howard, 1521 - 1542) 1540年結婚、1542年離婚
アン・ブーリンの従妹。結婚1年半後に反逆罪で刑死。

(6)キャサリン・パー(Catherine Parr, 1512 - 1548) 1543年結婚、1547年夫と死別
学識高く、メアリー、エドワード、エリザベスの教育係も務めた。結婚3年半目にヘンリーと死別。

ヘンリー8世はイギリスでは「率直王」というあだ名で呼ばれている。
彼は教育係から叱られる時も、側近の者が代わりに鞭で打たれたというほど甘やかされて育ったワガママ子供だったという。
といっても、音楽を好み、10歳でフルート、ビオラ、ハープを演奏できたという。普通なら一流の側近やら教育係からいつも囲まれて、嫌がって離れるところだが、そんな年で天才時ともいえるほど音楽を追求したり自由に楽しめたのだからやはり素質はあるのだろう。それと次男ということで、跡継ぎの大きな責任を一気に背負うことが無かったことからも自由に何でも好き勝手に生きることができたのであろう。
 
その素質で他に絵画やら文学やらあらゆる芸術にも意欲的に興味を持って超越でき、更にスポーツ万能で言語も多数操れ、決して甘やかされたバカボンボンではなかったようだ。全てに超越できることに楽しみを感じていたのだから、自分自身人生に無駄無くやりたいことを有意義に送ることに率直に素直に取り組めたのだろう。
 
権力や財力があっても、それを有意義に上手にうまくマネージメント出来ない者だって沢山いる。しかし、ヘンリーはそれを断固としてうまくやり抜こうとした。例え、周りを困らせたり、迷惑かけたりしても、自分に忠実に正直に素直に生きたし、それが許され生きることができた。そういう星のもとに生まれたのだ。

しかし、その何でも出来る能力が災いにもなる。自分があまりにも能力があると傲慢になってしまい、自分より秀でる者があれば、もう許せない。今まで甘やかされて育った分、自分より強い者に対しては影で操作する。
 
ところが、芸術的な者はそう簡単に誰でも努力で追いつくことができないばかりか、その能力は多くの者を癒す働きがあるので、ヘンリーもその偉大な芸術から沢山癒された。その為一流の天才的芸術家を処刑することは出来なかった。

それにしても、ヘンリー8世は側室を持たずに離婚して結婚するところがまた凄い。何も殺すまでしなくてもいいのにと思うが、「権力」というものは何でもOK自由自在なのだな。「権力は」は無関心にはならないので、愛と裏表の関係なのかもしれない。

「当たり前」を「権力」を使って、歴史的全く新しい、現代にまで伝えられるほどのものを作ってしまうのだから、その力は壮絶だ。ただし、今のイギリスは結婚しないで同棲を生涯貫くのが当たり前になっている。

6人の妻たちは、無実の罪で処刑されり、離婚したりもあったが、それでも英国王妃として現代まで英雄のように有名で忘れられない存在であるので、やはりそれは凄いことだし、権力のおかげでもあるのだろう。
 
ヘンリーが好きになった女性達はどことなく、母エリザベス・オブ・ヨークに似ているような…。ヘンリーの母はヘンリーが13歳の時に亡くなる。(1503年エリザベス37歳の時、7度目の出産の際に死去し、その時生まれた四女もまもなく亡くなった)  

8_2

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職場裏にある美しいいきもの…

職場裏にある美しいいきもの…
いつの季節も職場付近には美しい生命が輝いている。
この花は何ていうんだっけ…?

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ヘンリー8世の妻たち…最後の妻:第6夫人キャサリン・パー

Photo キャサリン・パー(Catherine Parr,1512-1548)
イングランド王ヘンリー8世の最後の王妃(6番目)

キャサリン・パーは、16歳で最初の結婚、21歳で2度目結婚をしたものの、いずれの夫も病死している。

5番目王妃処刑後翌年ヘンリー8世が51歳の、キャサリン・パーが31歳で結婚。

キャサリン・パーは、王の3人目の妻ジェーン・シーモアの次兄トーマスと交際を始めていたが、ヘンリーは、トーマスを公務で海外に送ってしまい、結婚に至った。

キャサリリン・パーは、ヘンリーと対等に学術談義ができるだけの知性(文学、芸術、音楽等)を持ち、特に神学についての造詣が深かった。やっと、ヘンリーは話しが合う女性と出会った。そのため、ヘンリーはキャサリンにエドワード(後のエドワード6世)や、エリザベス(後のエリザベス1世)や、メアリー(後のスコットランド王妃メアリー1世BloodyMary)の養育係を任された。キャサリンはヘンリーの子女たちを自分の子のように愛し可愛がったので、皆、優しい継母を敬愛していた。また、キャサリンは、当時私生児の身分に落とされていたメアリーとエリザベスの姉妹を、王女の地位に戻すことを王に嘆願して許された。
キャサリンの愛と力なくして、エリザベス1世は生み出すことは出来なかったという。

キャサリンは、晩年病気に悩まされたヘンリーの看護にも熱心であったため、ヘンリーの信頼を得、結婚後の翌年に、ヘンリーがフランス遠征をした3ヶ月間、君主代理を任されるほどであった。また、イングランド女王・王妃として初めて著書を上梓したのもキャサリン・パーである。

宗教改革によりカトリックと英国国教会の対立が止まない時代、キャサリンが神学への興味からルターによる福音主義の教義を勉強していたことから、カトリック司祭らの怒りを買い、キャサリンが異端者であるという報告がヘンリーにもたらされてしまうと、キャサリンの身にも危険が及んだが、キャサリンの人徳や、彼女はすでに証拠となりうる書物を処分しており、王に対して自らの信仰の潔白を説いていた。実際、捕吏が夫妻のもとへ赴いていたが、ヘンリーがそれを追い払ってキャサリンは救われた。

ヘンリーとの結婚4年後、ついにヘンリーは56歳で亡くなる。(持病であったリューマチ、腫瘍、梅毒他が悪化)
それから5ヶ月後、キャサリンは周囲の動揺と反対を押し切るように、かつての恋人、海軍司令長官トマス・シーモアと再婚し、翌年女児が誕生したが、その翌月キャサリンは産褥感染症にかかり亡くなった。

~~教養は身を助けるけれど、最後はやはり悲しかった。愛する子供を残して亡くなるのは身を切る思いだっただろう。子供と引き替えに自分が亡くなったようなものだ。ヘンリーの最後も怨念のごとく病気に苛まれたようだが、それでもキャサリン・パーに手厚く見守られて亡くなったというのだから、例えおぞましい病気で亡くなるとはいえ、地位と名誉と手厚く見守ってくれるものを揃えて最期を飾られたのはラッキーな境遇なのかもしれない…~~

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